一葉稲荷神社

一葉稲荷神社について

御祭神

主祭神 倉稲魂命うがのみたまのみこと 商売繁昌・家内安全・芸能上達
配座 猿田彦命さるたひこのみこと 海陸交通安全
塩土老翁命しおづちのおのみこと 安産・厄除
大国主命おおくにぬしのみこと 縁結び・厄除・学業成就
末社 恵比寿神えびすじん 商売繁昌・大漁満足
寿老人じゅろうじん 不老長寿

ご由緒

一葉神社は古史神代のいわゆる 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第十二代 景行天皇の勅によって創建されたと伝えられています。
後世 寿永年間(1182年-84年)に当地に移転遷座しました。
この頃より境内松原に一葉の松が生じ 万民奇異の想いをなし 大いに崇敬の念を加えこれに於いて 禊祓の聖地なると確信し 住吉の神、神威を顕し給いしものなりと信じこの頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも言われるようになりました。

Hitotsuba inari shrine was established by Emperor Keiko in Awagigahara. There is the misogi-pond in the Awagigahara, and it is widely considered one of Japan’s most sacred places. In 1182-84, Hitotsuba inari shrine was moved to its current location, and that was the time when a sacred pine forest appeared. From this time, people started to believe this place as a sacred place to do misogi, and also started to call the shrine by Hitotsuba inari daimyojin, and Hitotsuba sumiyoshi daimyojin.

往昔より武門豪族の崇敬が厚く、ことに一葉の松が生じてより一般の崇敬が激増し、元禄二年(1689年)旧延岡城主・有馬左衛門尉永純より御供田高二石を寄進、同十一年に幕府は勘定奉行・今井九郎右衛門をして御供田高二石を寄進と、各方面より寄進があり領主領民の崇敬が厚き社となりました。
明治維新に至り、厳然たる社格を治定され、その後明治三十九年四月二十八日、神饌幣帛料供進の社に指定されるに至りました。
現在崇敬者は、県下一円をはじめ、大分・鹿児島・福岡・四国・京阪神地方に及び、そのご神徳は普く世人の周知するところとなり、商売繁昌の祈願でも多く崇敬される様になりました。

Nowadays, people throughout Japan visit Hitotsuba inari shrine to pray for deity of business prosperity.

神代の遺風としては、往昔より毎朔日、また事ある際には”浜下り”と称し、未明に一葉の海浜に出て真砂を探り、心身を清め当社に参拝後、自宅内外を浄め、各々庭内の氏神様の前にこの真砂を捧げおく珍しい風習を続けている氏子達もいます。